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福岡地方裁判所小倉支部 平成5年(ワ)645号 判決

原告

椋本辰次郎

ほか一名

被告

住友海上火災保険株式会社

主文

一  被告は、原告らに対し、各金八五〇万円及びこれに対する平成五年六月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  この判決は仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告らに対し、各八五〇万円及びこれに対する平成五年六月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、自動二輪車を運転中自損事故を起こして死亡した者の遺族(父母)が、右自動二輪車を被保険自動車とする自動車保険(任意保険)契約に基づき、保険会社(保険者)に対し、前記死亡者の被つた損害(後記二1の損害合計四一七二万三八四六円)のうち保険金額(後記一1(三)の一七〇〇万円)の限度で損害賠償を請求する事案である。

一  争いのない事実等

1  保険契約の存在

訴外有限会社精文堂(以下「精文堂」という。)は、平成四年四月一六日、被告との間で、自社の家族従業員訴外有馬尚が所有し、かつ、自社のため運行の用に供する自動二輪車(北九州か〇六四一、以下「本件自動車」という。)につき、次の内容の自動車総合保険契約(PAP。以下「本件保険契約」という。)を締結した。

(一) 保険期間 平成四年四月六日~平成五年四月六日

(二) 保険料 三万六五一〇円

(三) 保険金額 自損事故一五〇〇万円

搭乗者傷害二〇〇万円

2  事故の発生

日時 平成四年一一月八日午後一時〇五分ころ

場所 北九州市小倉南区大字新道寺平尾台登山道の通称第九カーブ付近の路上

事故車両 本件自動車

運転者 訴外椋本茂(以下「亡茂」という。)

態様 亡茂が本件自動車を運転して事故現場付近の下りカーブを走行中、運転を誤り、道路左端ガードレールに衝突して転倒した。

3  亡茂の死亡

亡茂は、右事故(以下「本件事故」という。)により左大腿骨骨幹部骨折、右肩甲骨骨折等の傷害を負い、事故から約二時間四〇分後の同日午後三時四六分福岡県京都郡苅田町京町二丁目二一番地の一健和会京町病院において、両側血気胸及び肺挫傷により死亡した。

4  相続関係

亡茂(昭和四五年六月二九日生)は、本件事故当時全日本警備保障に勤務する会社員で、かつ、満二二歳の独身であり、相続人は同人の父母である原告両名のみであつた(甲四、乙三)。

二  争点

原告らの主張する損害は後記1のとおりであり、本件の争点は、後記2のとおり、本件保険契約の保険者(被告)に適用される免責条項としての「本件自動車の譲渡」の有無及び被告の保険金支払義務の存否である。

1  亡茂の損害

(一) 逸失利益 二三七二万三八四六円(円未満切捨て)

(1) 年齢平均給与額 二六六万九五〇〇円

(平成二年度賃金センサス第一巻第一表中、産業計・企業規模計・全労働者計の二二歳平均年収)

(2) ライプニツツ係数 一七・七七四

(3) 生活費控除 五割

(4) 計算式

2,669,500×17.774×0.5=23,723,846

(二) 慰謝料 一七〇〇万円

(三) 葬儀費 一〇〇万円

(四) 合計 四一七二万三八四六円

2(一)  被告の主張

(1) 精文堂と被告間の本件保険契約に適用される普通保険約款(以下「本件約款」という。)の第六章一般条項第五条一項には、「被保険自動車が譲渡された場合であつても、この保険契約によつて生ずる権利および義務は、譲受人に移転しません。ただし、保険契約者がこの保険契約によつて生ずる権利および義務を被保険自動車の譲受人に譲渡する旨を書面をもつて当会社に通知し保険証券に承認の裏書を請求した場合において、当会社がこれを承認したときは、このかぎりではありません。」との条項が、さらに、同条二項には、「当会社は、被保険自動車が譲渡された後(前項ただし書の承認裏書請求書を受領した後を除きます。)に、被保険自動車について生じた事故については、保険金を支払いません。」との条項が、それぞれ定められていた。

(2) 本件自動車は、本件事故の一月前ころ、所有者の有馬尚から中学時代の同級生で親しい友人関係にあつた亡茂に代金二五万円で売買され、本件事故の約三日前に両者間で「本件自動車の引渡しは平成四年一一月八日に行う。」と合意していたところ、右約束の日である本件事故当日、改めて名義変更手続と代金支払を翌日(同年一一月九日)に行う約で右尚から亡茂に本件自動車が引渡されたものであり、本件事故はその後に惹起されたものである。

(3) このように、亡茂が有馬尚から本件自動車を買受ける旨合意し、その引渡しを受けて持ち帰り、これを支配下に納め、自己のため運行の用に供していた以上、登録名義の移転、代金の支払の履行が残つていても、亡茂は既に本件約款の前記条項における被保険自動車の「譲渡」を受けたものとみるべきである。被告は、右「譲渡」後の本件事故について、本件約款に基づき、保険金の支払義務を負ういわれはない。

(二)  原告らの反論

(1) 本件約款の存在・内容及び有馬尚と亡茂の関係が被告主張のとおりであつたことはいずれも認める。

(2) しかしながら、本件自動車は未だ有馬尚から亡茂に売買(譲渡)されていない。すなわち、亡茂と有馬尚間の合意内容は、亡茂が本件自動車に試乗したうえで気に入れば購入するというものであり、亡茂は、本件事故当日、初めて本件自動車に試乗した右購入を決意する前に本件事故に遭遇したものである。

(3) 仮に、有馬尚と亡茂間の合意が売買とされても、本件自動車の所有権は未だ右尚から亡茂に移転していない。すなわち、尚と亡茂は中学以来の友人で非常に気安い間柄にあつて、全く未知の当事者間における売買とは事情を異にすること、亡茂の売買対価の支払は同人所有の五〇CCの原動機付自転車(新車)の引渡し(交換)をもつてこれに当てる旨合意していたところ、両者間には未だ右新車の引渡しがなされていないこと、本件事故当日有馬尚は亡茂に対して「もし事故が起こつた場合は、自分のバイクだからその保険が使えるので心配ない。」などと言つていたこと、本件事故後買手側が売手側に対して本件自動車の損害賠償(物損)を申し出ていたこと、以上の諸事情を総合すると、亡茂が本件自動車の試乗をしていたにすぎない本件事故当日の時点では、いまだ買手である亡茂にその所有権が確定的に移転していたとはいえず、右所有権の移転時期は、代金の代りとなる新車の引渡時もしくは被告に対する本件自動車の譲渡通知及びその承認時と解すべきである。したがつて、本件約款の適用はない。

第三争点に対する判断

一  本件約款における「被保険自動車の譲渡」の意義について

1  本件約款(乙二)によれば、精文堂と被告間の本件保険契約に適用される本件約款第六章一般条項第五条の規定内容は、前記第二の二2(一)(1)のとおりであり、また、本件約款第二章自損事故条項には、次の規定がある。

第一条一項

当会社は、被保険自動車の運行に起因する急激かつ偶然な外来の事故により被保険者が身体に傷害を被り、かつ、それによつてその被保険者に生じた損害について自動車損害賠償保障法第三条に基づく損害賠償請求権が発生しない場合は、この自損事故条項および一般条項に従い、保険金を支払います。

第二条

この自損事故条項において被保険者とは、次の者をいいます。

一号 被保険自動車の保有者

二号 被保険自動車の運転者

三号 前各号以外の者で、被保険自動車の正規の乗用車構造装置のある場所に搭乗中の者

第三条一項

当会社は、次の傷害については、保険金を支払いません。

三号 被保険者が、被保険自動車の使用について、正当な権利を有する者の承諾を得ないで、被保険自動車に搭乗中に生じた傷害

2  したがつて、本件事故に関して、亡茂がたとえ本件約款の自損事故条項に基づき被告に対し保険金請求権を取得するとしても、同約款の第六章一般条項第五条に定める、被保険自動車が「譲渡」された後(譲渡承認裏書請求書受領前)の事故にあつては、保険金の支払義務を免れることとなる(本件において、保険契約者である精文堂が被告に右の譲渡承認裏書請求書を提出した証拠はうかがえない。)。

3  よつて、案ずるに、

(一) 本件約款第六章一般条項第五条が被保険自動車譲渡後の事故に関し保険支払義務を免れる旨定めた趣旨から考察するに、これは、被保険自動車の譲渡により保険給付の可能性(危険)が現実的に変更されるため、保険給付義務を負担する保険者としては被保険自動車の譲渡について個別的に承認を与える裁量の余地を残したいと考えるのが当然であり、右通知義務を履行しない場合には保険者は保険金支払義務を免責されるとすることによつて右趣旨の実効を図ろうとしたものと解するのが相当である(商法六五〇条は任意規定にすぎず、本件保険契約についてはまず本件約款が適用されるというべきである。)。

本件約款上の右規定は、その合理性を肯認するに十分である。

(二) 本件約款第六章一般条項第五条の右にみた趣旨にかんがみるならば、被保険自動車の「譲渡」とは、保険給付の可能性(危険)が現実的に変更される場合を指し、具体的には、被保険自動車の引渡しがなされ、その運行支配の主体が変更されることを意味し、当該車両の形式的な登録名義の変更や売買代金の決済の有無等は直接には右の判断を左右しないというべきである。被保険自動車の現実的な占有移転(引渡し)がなされたかどうか、それが一時的な占有移転ではなく所有権を背景とした確定的な占有移転であつたのかどうか等の事情が十分考慮されるべきであると解される。

二  本件の事実関係(甲一、乙一、三・四、証人有馬尚)

1  本件事故に至る経緯

(一) 有馬尚と亡茂は、中学校以来の同級生であり、いずれも大のバイク好きで親しく付き合つていたところ、本件事故の約一月前ころ、両者間で、右尚の所有する本件自動車を代金二五万円で亡茂に売却する話がまとまつた。

(二) 右代金の支払は直接現金払いとせず、尚の希望するバイク(代金二五万円相当の新車)を亡茂が購入し、本件自動車と右新車の名義を互に変更(交換)することによつて決済する約束としていた。

(三) 亡茂は、右約束に従い、その後新車の購入を業者に申込み、本件事故の一週間ないし三日前ころ、有馬尚との間で、「本件自動車を本件事故日に引渡し、バイク(新車)をその翌日に引渡す。両車の名義変更手続(本件自動車の保険名義変更手続きを含む)は右バイクの引渡日に行う。」旨確認した。

(四) 亡茂は、本件事故当日の午前八時半から午前九時ころにかけて、有馬尚方に赴き、同人から本件自動車の引渡しを受け、その足で平尾台までこれを運転して走行し、昼過ぎころ本件事故に遭遇した。亡茂は、それまで本件自動車を運転したことはなかつた。

2  本件事故後の状況等

(一) 本件事故の翌日に予定されていた名義変更手続は、亡茂の死亡のため、そのままとなつた。また、本件自動車の売買代金も支払われないままである。

(二) 亡茂の父母である原告らは、有馬尚との間で、本件事故後、本件自動車の被害(物損)弁償について話合いを持ち、原告らが右尚に二五万円支払うことで合意に達した。

(三) ところで、本件保険契約は、運転者年齢条件として「二〇歳未満不担保」の特約が付されているものの、その他の運転者制限に関する特約はなかつた。

三  被告の支払義務の存否

1  右二の認定事実に照らすと、有馬尚と亡茂の間では、遅くとも本件事故の一週間ないし三日前までには本件自動車の売買契約が成立し、その引渡は約束どおり本件事故当日の午前中に完了したと見るのが相当である。

原告らは、亡茂が本件自動車に試乗して気に入れば購入する約束であつたから、本件事故時には未だ本件自動車の売買契約は成立していない、仮に売買契約が成立していたとしても、本件事故時には本件自動車の所有権が亡茂に移転しておらず、いずれにせよ本件約款第六章一般条項の「譲渡」に当たらない旨主張する。

しかしながら、前記認定のとおり、亡茂は自己の代金支払義務に代わる新車の購入を既に業者に申込み、本件自動車と右新車の交換手続は本件事故の翌日に行うことが当事者間で確認されていたのであるから、亡茂が本件事故当時売買の最終意思を確認するため本件自動車に試乗していたとか、あるいは有馬尚が亡茂から本件自動車の返還があるかもしれないと認識していたとかの事実は到底推認することができない。たとえ、有馬尚と亡茂が中学校時代からの仲の良い友人同士であつたとしても、本件事故前までの両者間の前記交渉経過に照らすと、本件自動車の引渡しは、本件事故当日の午前中には既に完了したものと見るのが相当である。

2  よつて、本件自動車は、売買契約の履行として本件事故当日の午前中有馬尚から亡茂に引渡され、亡茂が新所有者として自己の支配下のもと自らのためにこれを運行の用に供するに至つたと認めるべきである。その運行支配の主体は変更されたと見るのが相当であり、本件約款第六章一般条項第五条にいう被保険自動車の「譲渡」は、本件において、これを認めるのが相当である。

3(一)  ところで、右の本件約款第六章一般条項第五条は、前記のとおり、「保険契約者がこの保険契約によつて生ずる権利及び義務を被保険自動車の譲受人に譲渡する旨を書面をもつて当会社に通知し保険証券に承認の裏書を請求した場合」にはその後における譲渡された被保険自動車の事故に関する保険者の保険金支払義務を免責しない旨規定している。このような保険目的たる被保険自動車の譲渡に関する事実を通知すべき義務を保険契約者に課した目的は、前記一3(一)のとおり、被保険自動車の譲渡により保険給付の可能性(危険)が現実的に変更されることに対する保険者としての個別的承認の機会確保の点にあると思料される。したがつて、保険契約者は、被保険自動車の譲渡後遅滞なく右通知義務を履行すべきであり、同条二項は、右通知義務が遅滞なく履行されないでいる間に保険事故が発生した場合保険者が免責されることを定めた規定にすぎないと解すべきである。なぜなら、本件約款には保険契約者が被保険自動車の譲渡を事前に書面をもつて保険者に通知すべしとするまでの規定は見当らず、したがつて、右通知は、一般には譲渡後にされることが予想されるところ、保険契約者が右譲渡の承認裏書請求を書面でするには、昨今の郵便事情を考慮すると、少なくとも譲渡後数日間の日時を要するのは当然であり、また、右通知義務者は被保険自動車の譲受人ではなく保険契約者とされているから、同人の協力を得て右通知義務を履行するには常識的に考えても右程度の日時を要すると解されるからである。

(二)  これを本件について見るのに、本件事故は被保険自動車の譲渡後わずか数時間で発生しており、被保険自動車の名義変更手続も本件事故の翌日に行うことが予定されていたことからすると、本件事故発生時点において、保険契約者が前記通知義務を遅滞なく履行しなかつたとは到底評価できず、また、他に本件事故が右通知義務が遅滞なく履行しないでいる間に発生したとの事実を認めるに足る証拠はないから、本件において本件約款第六章一般条項第五条二項を適用する場合には当たらないというべきである。

四  亡茂の損害について

1  逸失利益 二三七二万三八四六円(円未満切捨て)

(一) 年齢平均給与額 二六六万九五〇〇円

(平成二年度賃金センサス第一巻第一表中、産業計・企業規模計・全労働者計の二二歳平均年収)

(二) ライブニツツ係数 一七・七七四

(三) 生活費控除 五割

(四) 計算式

2,669,500×17.774×0.5=23,723,846

2  慰謝料 一五〇〇万円

3  葬儀費 一〇〇万円(弁論の全趣旨)

4  合計 三九七二万三八四六円

五  結論

右損害は亡茂の自損事故によるものであるから、自賠法第三条に基づく損害賠償請求権は発生しないというべく、亡茂は、本件約款第二章自損事故条項に基づき、被告に対して、所定(第二の一1(三)参照)の保険金請求権を取得し、原告らがこれを相続したと認められる。

(裁判官 榎下義康)

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